足利義晴は
足利義晴は、室町幕府の第12代将軍。
第11代将軍・足利義澄の長男、母は日野永俊の娘で富子の姪。
弟に足利義維がいる。
義晴の父・義澄は大内義興によって第10代将軍・足利義稙が擁立されて上洛してきた時、近江の六角高頼を頼って落ち延びていたが、その最中の永正8年3月5日、義澄の次男として近江朽木で生まれた。
しかし、父は義晴が誕生した年の8月14日に朽木で死去している。
このため、永正11年、義晴は播磨に下向し、赤松義村の庇護を受けて養育された。
大永元年、父と対立して将軍職に再任していた足利義稙が、管領の細川高国と対立して京都から追放されたため、高国に擁立されて第12代将軍に就任した。
京都と近江の往復大永6年、高国が家臣の香西元盛を殺害して細川氏で内紛が起こると、高国と対立していた細川晴元は、三好元長の援助を受けて義晴の弟・足利義維を擁立して高国と戦う。
第11代将軍・足利義澄の長男、母は日野永俊の娘で富子の姪。
弟に足利義維がいる。
義晴の父・義澄は大内義興によって第10代将軍・足利義稙が擁立されて上洛してきた時、近江の六角高頼を頼って落ち延びていたが、その最中の永正8年3月5日、義澄の次男として近江朽木で生まれた。
しかし、父は義晴が誕生した年の8月14日に朽木で死去している。
このため、永正11年、義晴は播磨に下向し、赤松義村の庇護を受けて養育された。
大永元年、父と対立して将軍職に再任していた足利義稙が、管領の細川高国と対立して京都から追放されたため、高国に擁立されて第12代将軍に就任した。
京都と近江の往復大永6年、高国が家臣の香西元盛を殺害して細川氏で内紛が起こると、高国と対立していた細川晴元は、三好元長の援助を受けて義晴の弟・足利義維を擁立して高国と戦う。
update:2010年07月17日
